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三国時代の社会構造や民衆の生活について

1 :無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 22:18
曹操? 呂布? 諸葛亮?
んなもん、裕福な豪族連中が私利私欲で争っただけの話じゃん。
物語だけでなく時代そのものにもスポットライトを当てようぜ。

ということで、後はよろしく。


90 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/17 17:04
誰かが死んだ時に破れた衣を着たり泥を顔に塗ったりするのは、古代儒教だっけ?

91 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/17 23:53
>>90
古代儒教というのかどうかは知らないけど、
古くから葬式の際には身内は麻の服着て・・・といのが
普通だった。
斬衰ってのはよく言われるけど、麻で作った袖とかを
断ちっぱなしにしたものだったはず。
ちなみに、他の弔問客とかは、平服+白地の冠とか
喪章みたいな衰といわれるものを平服の上からつけたりとか。

顔に泥を塗るの? ちょっとわからんっす。

92 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/18 07:56
泥を塗る、というのは知らないなあ。
儀式としての化粧や仮面とは違うんだよね?

いろいろ面白い話があるなあ、ここ。

93 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 22:25
小説で、三国時代婚礼の時は青だって表記があった気がする。

94 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/23 14:08
結婚衣裳の色問題解決に向けてage

95 :無名儒者@孫乾の従者:02/07/23 23:26
 えと…中国のドラマの三国演義の関連書籍では、
結婚式は赤って決まってたとか書いてあって、劉備と尚香の結婚式は
赤づくめになってて壮観でした。
 あのドラマは考証はかなり詳しいとも書いてあったのでアテに
なると思います…。

 で、皇帝のカラーって、「朱」ってどこかで聞いたことがあります。
京劇の本では、紫→青→黒→白で、紫が一番家臣ではランク高いとか
書いて有りました。
 
 でも図書館でちらと見た本なので、うろおぼえです。
間違いだったらごめんなさい。

 >93さま
 それは、もしかして、麋竺が若い女性の幽霊を蒼い衣を着せて弔ってあげた
 とかいう話のことですか?違ってたらすみません。

96 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 11:49
>>95
ん?中国の皇帝色って黄色じゃなかったか?

それにしても2ちゃんで敬称をつけるとは珍しいw

97 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 17:58
>96
帝は、季節によって服の色を変えるらしい。
春から順に青→赤→黄→白→黒、だって。靴は赤。

資料?…ゴメソ、爆笑三国志です。

98 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/25 23:06
皇帝の色って基本は朱かな〜っておもうんですよ〜。
というのも、「礼記」では、
「朱の車にのって、赤い馬に引かせて、赤い旗をたて、朱の衣をまとい、
 赤い玉を帯びると・・・・」
でも、綬の色は、後漢の皇帝は、黄赤だったらしひ・・黄赤って
オレンジ?

花嫁衣装〜。
身分によって使用可能な色がきまっていた模様です。
EX,600石以上・・・朱と、紫と紺つかっちゃだめ。
300石以上・・5色使用OK。青、黄、紅、緑、絳。
こんな感じらしい?です。

99 :無名儒者@孫乾の従者:02/07/26 21:04
 おお、みなさまよくご存知ですね、鎧はともかく、
衣装の習慣の資料本が少なくて困っているところです。ヤレヤレ。

 >86さま
 えと話ズレますが、ウエディングドレスって『緑』は演義が、じゃない
 縁起が悪いそうです。子供のとき読んだ怪しげな本の記述ですが。
 なぜかは書いていませんでした。

 >98さま
  黄赤、ですか…黄色&赤色という意味にはならないでしょうかね。
 そういえば、12章とかってゆー文様も文様図鑑に載ってますよね。
 12こ全部使ってよいのが皇帝でしたっけ?
  
 毎度うろおぼえでごめんなさいです。…ところでこの場で敬称って 
 珍しいのですか…知らなかった。戦国三国板しか来たことが無いもので。では

100 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 00:43
>>99
黄赤ですね。後漢書の輿服志の黄赤綬の項にかいてありますので。
ちなみに、この黄赤をベースにして、黄赤紺ひょう(薄青)の四色で
文様を入れたものが、天子の綬として用いられていた。

天子は章を備えるですから、12章の使用が許されています。
以下、位によって、9章なり7章なりと、変化がつけられているようです。

敬称は確かに、2ちゃんでつけるのは珍しい
みんな名無しなんで、気にしないんでしょう。
コテハンであれば、つけるかもしれないですが。
でも、まあマターリするので良いかと。

101 :93:02/07/27 18:25
>95 孫乾の従者殿
うろ覚えなのですが、玄徳と尚香の婚礼の描写で出て来ていたと思います。
実際の季節は別として、婚礼は「春」の行事であり、
春の色は五行で青だから…が根拠だったと記憶しています。

102 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:34
読売新聞夕刊を見た方はいますか?
中国で、また漢代の女性遺体が発見されましたね。
保存状態はかなり良いみたいです。
片目が半開きなのがちょっと怖かった。
名前は「凌恵平」だそうです。
相当高い身分の婦人だそうですが、一体誰の関係者でしょう?
今後の調査結果に期待したいですね。



103 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:37
>>102
ミイラ化してるのに半開き?
どういう意味?

104 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:43
>>102
読売取ってないです。詳細キボン! 

>>103
儒教の教え上、古代中国では、
死者の体は全力を持って、
生きている状態のままを保つことを主眼に置いて埋葬されるから、
生乾き状態が比較的長く続くんだよ。
だから、半目のままでミイラ化ということもありえる。

105 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:49
眼球は無くなっても瞼は残るのか、知らなかった

106 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:49
>>103-104
この記事です。
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020729i402.htm

107 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 01:55
>>106サンクス
皮膚には弾力って・・まさか肉まで残ってたのか!?

108 :104:02/07/30 02:07
>>106 ありがd

江蘇省・連雲港!
徐州、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!
これは、遺体本体もそうだが
副葬品に期待が持てるね。



109 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 02:29
写真を見た限りでは、遺体は黒ずんでましたけど、
肉付きは結構良かったことが窺えました。
遺体が濡れて光っているのがちょっと不気味でしたね。
いやぁ、でもこれは本当凄いです。

読売夕刊に載っていた写真とは違いますけど、
ニュー速+にあった写真を貼っておきます。
http://j.people.ne.jp/2002/07/12/jp20020712_19122.html




110 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 02:50
ああ、キモいよ…… 泣

111 :無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 02:54
>110
新聞にのってた写真はまっぱな上に間近で撮った写真だからもっとキモかった

112 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/02 01:29
読売にのった写真と同一のモノ
http://www.sponichi.co.jp/society/photonews/image/2002/07/29-1.jpg

113 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 00:16
>>112
(;゜Д゜)ヒーッ!!

114 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 19:16
 秦代に分刻みで時間記録 大量発見の竹簡から判明
 
【長沙(中国南部)3日共同】中国湖南省文物考古研究所は3日までに、
同省西部の竜山県で今年6月に大量発掘された秦代(紀元前221年−同206年)
を中心とする竹簡について、分刻みとみられる細かい時間を記した公文書が含まれ、
秦代の社会を知る上で貴重な発見であることを明らかにした。
同研究所によると、これまで解読した秦代の数百枚は、
少なくとも秦による中国統一の前年の始皇帝25年(紀元前222年)から2世元年までの
13年間にわたる地方の役所の報告書や通達などで、
年月日の後に「水下五刻刻下三」など細かい時間が記されたものがあったという。
同研究所では「刻下三」は分刻みの単位を示すもので、
前漢時代の出土品で存在が確認されている「漏壺(ろうこ)」と呼ばれる水時計が
既に秦代に使われ、地方役所に備えられた可能性が強いとしている。

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=DLT&PG=STORY&NGID=AMAN&NWID=A0030300

例の焚書坑儒を免れた二万枚の竹簡の続報です。
これから更に色々な事が分かっていくんでしょうね。
研究者の方々の努力には頭が下がる思いがします。

115 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 19:49
>>114
す……素晴らしい。
中国、もっと発掘に力を入れてくれ。

116 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/04 01:05
>>114
発掘はどんどん新しいのが出てきて、資料の整理が
追いついてないところがあるのが、痛いけど
出来るだけ頑張って調べて欲しいよね。

117 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/13 00:04
好きなスレなのでホッシュ

118 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/13 10:49
後漢末〜晋までの官制とか役職ってどうなってたんすか?おりゃあ丞相>三公(大司馬・司徒・司空)しか知らないもんで。教えていただけませんか?

119 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/15 10:18
>>118
それではあまりに範囲が広すぎでございます〜。
もちょっと絞ったほうが、みんな答えてくれると
思うよ。

120 :コギャルとHな出会い:02/08/15 10:19
http://kado7.ug.to/net/


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121 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/15 18:24
>>118
範囲広すぎ・・・

122 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 20:25
>>118
少しは自分で調べろ
その上で分からんことを聞け

123 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 22:01
>後漢末〜晋までの官制とか役職ってどうなってたんすか?

後漢は後漢で官位は乱発するし、
群雄割拠時代〜三国は、各勢力で勝手に名乗りあうし、
晋代は晋代で、安定する前に国の基盤が乱れたから、
正直、そのへんの役職名の力関係や推移はわけわからん。

124 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 09:03
最初三国志読んだとき、
県?郡?州?
県よか郡のほうがでかいのかよ!
って思った・・・

官位は難しいね。もっとも、中央の官位よりか
地方の官職の方が興味があるYo


125 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:02/08/17 10:39
>>32 おどるたい焼きたんの紹介してた
五井直弘たんの『漢代の豪族社会と国家』図書館で読んできたよ。

巻末の「第七章 曹操政権の性格について」が、
後漢時代、曹操をふくむ各豪族たちが、
漢王朝の官職の仕組みを利用して、
配下をふやし勢力を形成していくさまを
解き明かしていて、おもしろかった。

で、それとは関係ないけれど、おなじくこの本の第七章から、
魏王朝で大きな位置をしめていた官職「祭酒」と
青州兵についての話も、おもしろかったからここにコピペ。

「豪族軍に敵対していた黒山の賊などが、簡単に曹操軍の中に編入
されてしまったのは、両者の編成形態や結合形態が相似たものであっ
たことを示すものとして大いに注意しなければならない。」

「たとえば五斗米道の教団組織の中で大きな位置を占めていた祭酒
は、後漢時代の官制ではあまり重要ではなかった。ところが曹魏の
時代になると、たとえば丞相の属官に軍師祭酒、主簿祭酒、参軍祭
酒があり、司空にも祭酒があるというように、かなり重要な官位を
占めるようになってくる。これは五斗米の組織と曹魏政権の組織と
が、ある意味では共通の性格と組織とをもっていたために他ならな
いともいってよい。」

(五井直弘『漢代の豪族社会と国家』
 「第七章 曹操政権の性格について」)

126 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:02/08/18 15:39
蜀の官職については、このページが、おもしろそう。
http://www.our-towns.net/~mujin/fancies.html

127 :こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/21 00:57
ホッシュ( ・ω・)ホッシュ

128 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/25 08:56

   | ̄ ̄ ̄ ̄
   |  保守…
   |_  __
     ∨
             ∫      _____
    ∧_∧   riii=       |┌──┐| ̄|-、
   (   ´_ゝ 「 ノ        ||    ||  | ]
   /   ⌒\/ /───┐  |└──┘| 」 /
  / ∧   \ / ̄ ̄ ̄ ̄`・、[ ̄ ̄ ̄ ̄] ̄ ̄|
  ( 二\   `'|          X|      | O O|
  〜〜ー⌒ ̄~〜〜--〜〜-〜"~


129 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/29 00:30
ホシュ♪
      ______         
      \|        (___
    ♪   |\            `ヽ、
         |  \ ChopinConcerto \
   ∧_∧|   \             〉
   ( ´∀`.| ♪   \          /
 ‖( つ|STEINWAY ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
 ‖( 匚______ζ--ー―ーrー´
  〓〓) ) ‖    ||       .||
 ‖  (__)‖)   ◎      .||
.       ◎            .◎

130 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/29 02:12
ホッシュのため、遅レス。

>>28
男子は20歳、女子は15歳で成人だったはず。

131 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:16
良スレアゲ

132 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 12:49
当時の官職の実際の仕事については、石井仁の「曹操 魏の武帝」に結構分か
り易く載ってたです。

ところで質問なんですけど、数年前に蒼天航路が流行ったとき、漢代の侠につ
いて書かれた本が出ていた覚えがあるんですけど、どなたか御存じないでしょ
うか。陳舜臣さんのではなかったように思います。

133 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/06 22:52
>>130
『礼記』でしたっけ。男子は20歳で加冠、女子15歳でケイ礼(漢字分からず)
とありますね。
>>132
幇ではなくて?
ちょっと分からないので、人材募集age

134 :132:02/09/07 01:21
>133
いや、確か侠です。神保町の書泉で見たんですけど、金なかったんで買わなかったんですよ。
こないだ東方書店とかでも聞いたんですが、わからないとの事でした。

135 :孫乾の従者:02/09/12 21:17
 下げでも保守できますかな…?
 多忙なためレス・ネタ振りできなくて御免なさい。

136 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 03:36
人形劇とか見ていると、ベッドとか椅子とか出て来ますが、
大きさはどれくらいなんでしょう?
また、庶民も使っていたりなど、
中国では一般的なものだったりしたのでしょうか?

137 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 22:40
前漢ごろまでは、地面の上に直接、むしろ等をひいて座るなり
なんなりしていたようが、後漢時代以降、台を用いるようになって来ました。
釋名によると、座ったり寝たりするところを牀と読んでいました。
以下、単位はメートルです。
大きくて高いのが牀(望都二号漢墓出土品。長さ1.59 幅1 高さ0.18
細くて長い榻(河南省出土品。長さ0.875 幅0.72 高さ0.19
一人用の小さいものが独坐
足がついてない板状の台が?。
の分類です。
(以上、漢代の文物より)
庶民に関してはわからないけど、こういう台をつくったりするのにも
マネーがかかるわけだから、地べたに直むしろっぽい気が・・。
椅子はこの頃まだ、メジャーではなかった模様。
霊帝は、折りたたみ系の椅子を愛好者だったらしいですけど。

138 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:27
良スレあげ

139 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 03:41
ちょと危険ぽ…? ageまする。

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