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【春秋五覇】春秋戦国スレ【戦国七雄】

1 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/30 23:11
―春秋戦国時代―…それは中華の人々が初めて経験した大乱世
周の幽王の死から秦王政すなわち始皇帝の統一までの550年間
人々は戦乱に疲れ、何より平和と安寧を求めた
そしてこの弱肉強食の時代は、数々のドラマを生んだ
それらはあまりにも人間くさい その前の殷周時代よりも遥かに…
歴史に燦然と名を残す名君、国家を繁栄に導いた賢相、主君の覇業を援けた名将、忠に生き義に殉じた忠臣
世を憂えその思想を後世まで伝える哲人、口舌で乱世を乗り切った論客、そして傾城傾国の美姫…
そんな彼らが活躍した舞台、春秋戦国時代について語りましょう。

2 ::02/08/30 23:12
板違いかも知れないけど、王莽・光武帝とかあったから思わずたてちゃった

3 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/08/30 23:15
3げっと

4 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/30 23:18
幾度となく立てられては消えていく、不遇のスレ・・・

5 ::02/08/30 23:23
>>4
まあそう言わず語ってくれ。
てゆーかこの時代そんな人気ないのか…
面白いのに

6 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:26
人名漢字が出にくいのがツラい。

7 ::02/08/30 23:32
>>6
漢字難しいからねぇ…士会とか白起ならいいが
羊舌キツとか変換すんの大変だょぅ

8 :干将:02/08/30 23:47
この時代は好きだな。
三国志よりいいな。

9 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:48
呉王・[門+盍・門+呂](こうりょ)の絡みで出てくる、要離のことがとてもすき。

漢代にまで時代が下がると、
個人の力だけではどうしようもない国家という巨大な力の存在が如実になるけれど、
春秋時代は、まだまだ個人の選択によって時代が動く可能性があった時期なので、
その点にロマンを感じる。

10 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:49
>>8
三国志は、逆に「個人の無力さ」もテーマなのかも。

11 ::02/08/30 23:56
ヤター10レスいった〜( ;∀;)
>>10
確かに三国志は中央集権が確立したあとだからねぇ
ただこの時代は身分制度は三国志よりも厳しいと思うよ。乱世たって、君主は君主。
あ、でも斉の田氏は…

12 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 00:01
闔閭

13 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/31 00:10
闔閭< あ!すごい!

14 :干将:02/08/31 01:35
孔子や屈原なんて、現代にいても周りから浮くんだろうね。

15 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 04:44
個人の才覚だけで国勢が覆るあたりが好き。
伍子ショとか、越王勾践とか、管仲とか、公孫央とか。
故事成語なんかもこの頃が一番出てるし。
三国志読む前にこの時代を勉強しるって思う。

16 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 04:59
屈原なんかは魚父辞でも清濁併せ呑むなんて真似は出来ないって言ってるし
庶民からは好かれても同僚からしてみれば融通利かないやな奴だったんだろうな。

17 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 07:48
ところで三国志では一騎討ちをよくやるけど、春秋戦国時代ではあまり見ませんね。一騎討ちの概念自体無かったのでしょうか

18 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 08:33
>>17
三国志の一騎討ちも演義の創作がほとんど

19 :干将:02/08/31 10:38
>>17
ネタだろ?
ネタだと言ってくれEEEEEE!!!!!

>>15
商[革央]、呉起、楽毅なんかすげーよね。個人の影響力でかすぎ。
俺がこの時代に興味を持ったのは、三国志から。
「絶エイの会」の故事を調べたのがきっかけですた。

20 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:40
春秋戦国の小説って淡々と話が進んでいくから感情移入しにくい

21 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:04
やっぱ白圭でしょ最強商人ってことで

22 :◆Od6sKlbc :02/08/31 11:39
>>14
孔子は一応魯の宰相クラスまでなった人だし、人徳はあったと思う。人気もそれなりだったでしょ。
屈原は頑迷でいやなやつでしょうね(w
>>19
呉起なんか超個人主義っすね。個人の才覚で国が興亡するのは非常におもしろい。そこが春秋戦国の魅力

>>20
宮城谷氏の小説なんか感情移入しまくりだと思うがどうよ?


23 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 13:17
>>17
春秋期の戦争様式は知っていると思うが、戦車戦が主流。
「車右」同士の一騎打ちはあった。
ただし、この時代の個人的武勇は賞賛の対象にはなりにくい。
諡号の最上位が「武」ではなく「文」というのも、なんとなく納得できるし。
士会のように車右から正卿に登りつめる方が、極々稀。

24 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 14:44
>>21
白圭って公孫讃だろ?
三国志ヲタ迷惑だから逝けや

25 :こおろぎ│ω・`) ◆8T0pwV36 :02/08/31 15:18
>>24
あの…
三国志に出てくる公孫[王贊]の字(あざな)は、「伯珪」。
>>21の言っているのは、「白圭」。
商人ということからも、薛公こと孟嘗君・田文のお父さんのお話をしているのであって、
三国志は全然関係ないですよ。。。

26 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 15:28
>>24
公孫「讃」って誰よ? プ

27 :こおろぎ│ω・`) ◆8T0pwV36 :02/08/31 15:45
>>26
誰にでも三国志に夢中になって、
世の中全てを三国志に関連付けて考えてしまうほど、ハマってしまう時期があるもの。。。

奇貨居くべし。カンチガーイは、スレのほどよいカンフル剤。

28 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 16:35
こおろぎタンは優しいのう( ´д`)
でも戦国の世では真っ先に死にそうだのう( ;´Д`)

>>22
朕が最初に買った小説が悪かったのかもしれんね。
宮城谷とかいう人のを探して読んでみるべさー

29 :◆Od6sKlbc :02/08/31 16:42
>>28
宮城谷昌光ってのがフルネーム。
この人の作品は、ほとんど中国古代を題材にとったもの。
殷では「王家の風日」がおもろい。春秋戦国は山ほどある。その中でも「重耳」と「孟嘗君」が面白いかな?長いけど。

30 :干将:02/08/31 16:55
春秋戦国の小説を語るのに宮城谷は外せませぬな。
「晏子」も好きだなあ。
脳内補完が素晴らしい。

・・・三国志の晏明が晏子の子孫だったら嫌だな。

31 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 17:38
>>1
宮城谷昌光の孟誉君は2ヶ月くらい前に読み終わった
戦国策好きには堪らない作品だと思われ

32 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 17:55
『孟嘗君』って、そんなに面白い?
あくまでも小説であって、娯楽性では随一なのはわかるが…。
史書を読み漁ったせいか、興ざめしてしまう自分…。

荒らすつもりでは、けっしてない。
宮城谷氏の作品は全て読んでるし。

33 :28素人:02/08/31 18:07
>>32
春秋戦国初心者の朕に推薦ってことだと思われ。「孟嘗君」

34 :◆Od6sKlbc :02/08/31 19:04
>>32
確かに「孟嘗君」があくまで小説であることは事実。それにはフィクションも多々含まれている。
だが、春秋戦国の小説を書こうと思い当たっても、史料が少なめなので、脳内補完がないと、小説としては成り立たない。
あくまで娯楽として、「孟嘗君」を推した。32氏がおっしゃることはもっともですが。


35 :無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 21:08
「孟嘗君」は三国志の横山か吉川みたいなもの
歴史としてより免疫をつける程度にどうぞ


36 :干将:02/09/01 03:00
「孟嘗君」は昔、新聞に連載されてたので毎日読んでた。
でも、通して読んでないなあ・・・。
文庫本で出てたら買おうかな。

37 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 12:48
>>36
『孟嘗君』は1998年に1〜5巻まで、まとめて文庫化されました。
講談社刊、1冊約600円。

史料が少なすぎるというのには、狂おしいほど同意。
もっとも、『史記』が成立したのが前漢代であるので仕方無いのかも。
日本の戦国時代よりは、テキストがまとまっている方でしょうね。

38 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 12:53
自分のこと「朕」っていう香具師、キモイ。

39 :元・楊雄@コテハン考え中 ◆zA1iYang :02/09/01 12:54
あまりこの時代の話は得意ではないので、チョトだけ参加させていください。

管仲
姓+字+名の配列で名前が残っている、特殊な例です。

…そんだけ

40 :干将@ネタにしてスマソ:02/09/01 13:29
昨日、三戦の春秋戦国スレ行ったんです。春秋戦国。
そしたらなんか書き込む人が5人くらいしかいなくてガラガラなんです。
で、よく見たらカキコがあって、「幾度となく立てられては消えていく不遇のスレ」
とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、不遇のスレ如きで普段来てない春秋戦国スレにに来てんじゃねーよ、ボケが。
春秋戦国だよ、春秋戦国。
なんか郭図公則とかもいるし。2取れなくて3げっとか。おめでてーな。
よーし>>1まあそう言わず語ってくれ、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、『戦国策』やるからその席空けろと。
春秋戦国ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
商人の白圭と公孫[王贊]の字(あざな)を間違えてもおかしくない、
白圭か伯珪か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、隣の奴が、春秋戦国で一騎討ち見ませんね、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、一騎討ちなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、一騎討ち見ませんね、だ。
お前は本当に一騎討ち見たいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、一騎討ちって言いたいだけちゃうんかと。
春秋戦国通の俺から言わせてもらえば今、春秋戦国通の間での最新流行はやっぱり、
『孟嘗君』、これだね。
『孟嘗君』。これが通の頼み方。
『孟嘗君』ってのはフィクションが多めに入ってる。そん代わり資料が少なめ。これ。
で、それに『重耳』と『晏子』。これ最強。
しかしこれを頼むと次から>>32にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、『論語』でも読んでなさいってこった。

41 :干将 ◆epsprtbo :02/09/01 13:37
俺はこのスレで頑張ろう。
ステハンのつもりだったけど、
決意のトリップ装備。

42 :元・楊雄@コテハン考え中 ◆zA1iYang :02/09/01 13:40
>>41
では、少し勉強してきます。孟嘗君でも神保町に探しに行くとします。
せっかくの日曜なので。

こんごとも よろしく・・・・・・・・

43 :干将 ◆3CKansyo :02/09/01 13:42
>>41
スイマセン、トリップ間違えました・・・。
>>42
いえいえこちらこそ、たいした知識もございませんが何卒宜しゅう・・・。

44 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 13:44
>>40
指摘されて、はじめて郭図公則がいたことに気づいた。

最近の宮城谷はマンネリでつまんないな。
キャラクターの個性がワンパターンな気がする。
ちょっと板違いスマソ。

45 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 13:50
>なんか郭図公則とかもいるし。2取れなくて3げっとか。おめでてーな。

ゲラゲラワラタ

46 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 14:05
>>44
同意します。
「楽毅」以来どうも読みにくくって…。
塚本青史の「白起」の人物描写が宮城谷と逆方向に向いていて
面白かったような気もします。

あと、「東周英雄伝」(台湾漫画。モーニングに一時連載された)の、
鶴飼育にハマって破滅してしまった衛の君主の話って本当にあるの?
なんの教訓にもならない内容なので激しくワロタのですが。

47 :干将 ◆3CKansyo :02/09/01 15:49
>>46
「懿公の鶴」の話なら、左伝にあったと思う。
人より鶴を大事にして、アボーンした奴の話だよね?

48 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 18:12
>>47
結局は狄に国都まで落とされる始末だが、それを復興させた斉の桓公は、やはり
さすがだと思う。
ついでにいうと、衛は懿公の次代は文公だが、即位当時は数十乗しかなかった戦車が
没した時には数百乗にまで増えたというから、彼も衛で随一の名君だろうね。

49 :◆Od6sKlbc :02/09/01 19:28
>>44
そのきらいはありますな。キャラかぶりすぎじゃん!っていう…

>>48
衛の文公は確かに名君だろうね。重耳を無碍に扱ったとか言われてるが、亡命君主にそんな手厚く扱えるほどの余裕は無かったのでせう。
所詮は勝利者の歴史。重耳が覇を唱えたから、衛の文公の扱いが悪いだけでしょうね。

50 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:39
>>39
そうかなあ? 他にも伍子胥(名は員)とかは?
というか、姓名と字が伝わっている人物ならば孔子とその主な門下生なら
ほとんど残っているはずだよ。

51 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:49
漏れ的春秋戦国時代名シーン

1.馬陵の戦い
2.荊軻による始皇帝暗殺未遂
3.楚王の屍を引っぱたく伍子胥

ほかにもいろいろあるけど…皆さんは?

52 :盲都区先生:02/09/01 20:49
孟しょう君って横山光輝史記では丞相になっただだけで。どうやって
城を落としていったのか教えて。


53 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:53
>>52
先生!こんなところにいたんですか?
早く自分のスレに戻って弟子に教えを説いてください

54 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:57
宮城谷の小説はただのヒーローものに成り下がっている。

55 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/01 22:00
何で人気が無いのかと言うと話の流れや前後が掴みにくいから

56 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 22:12
陳瞬臣氏の小説もそのきらいがあるけれど、
宮城谷氏小説は、時代考証の説明が長いのかな。。。
小説というよりも、あらすじに説明文がくっついているという感じで。

>>55のそんちゅーの言う、「話の流れや前後が掴みにくい」、とは、
大部分の人が思っている春秋戦国時代に対する正直な感想だと思う。
この時代を扱う小説は、ともすれば
「時代背景が分かりにくい→考証部分の説明が長くなる→小説(物語)としての面白みが失せていく」
という悪循環に陥りやすい。

春秋戦国時代にも、『十八史略』よりもう一歩詳細な、
面白い演義があればいいんだけどね。

57 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 22:35
>>55
春秋戦国って故事も多くて三国志に次ぐ人気のある時代だと思うが。
(三国志の人気は別格と考えた方が良いかも)

58 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/01 22:50
>>57
言葉足りなかったかな?(端折り過ぎたかな?)
もう一回分かりやすく言うと

何でこういうスレが人気が無いのかと言うと話の流れや前後が掴みにくく話しに入りづらいから

59 :盲都区先生:02/09/01 23:12
私は早く質問の答えを知りたいんだが・・。


60 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:15
>>59
勢い!!

61 :盲都区先生:02/09/01 23:16
ざけんなこるああああああああああああああああああ!!!!!
答えになってないぞ!

62 :こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 23:59
>>59
勘違いスマソ。
本当は、「孟嘗君を語ろうぜ!」のように話題を絞ったスレが立てられればいいのですが。
そこがそれ、板違いスレの悲しさで、
どうしても板に対して肩身が狭く、「春秋時代総合スレッド」という形にしてしまうので、
いろいろな話が泡沫的に浮かんでしまうのです。

>>52
孟嘗君は丞相にはなったことがないので、
ちょっと分かりません。

63 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:00
質問に具体性がないので答えにくいのだが…
もうちょっと答える人間がわかり易いように質問しましょう。

もっと頑張りましょう △32点

64 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:00
>こおろぎ
>>52を日本語に翻訳してください

65 :こおろぎ│ω・`) ◆8T0pwV36 :02/09/02 00:07
>>62は、
>59ではなく、>>58宛てです。失礼しました。
>>64
特定のハンドルを貶めるような行動は、ちょっと……              ((( (´・ω・`)ダメダメ

66 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:08
私と娘、二人で受けましたので時間も長かったのですが、娘の分までお昼を用意してくださったり、
また話し相手になってくださったりと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 救霊後の私は、くよくよ悩むのをやめ、毎日を明るく、
楽しく生きられるようになりました。また、証もたくさんいただきました。
 長野市からの帰り道で迷い、高速に乗りそこねてしまったのですが、神様が道案内をしてくださり、
無事、帰路に着くことができました。それから主人の態度が変わり始め、家庭内が明るくなり、
私自身も様々なことが前向きに考えられるようになりました。友達からも、
目がキラキラして別人みたいと言われ、私と一緒にいると、ほっとして、
安らげて、元気がでるとまで言ってくれました。うれしかったです。
 私に深見先生のことを教えてくれた妹は、一昨年結婚して、名字が“深海”となりました。
 友達3人にも声をかけたら、“行ってみたい”といってくれました。その日がくるのが楽しみです。
中途半端な性格の私ですが、ワールドメイトでは死ぬまで勉強させていただこうと思います。
 ありがとうございました。




67 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:09
なにこいつ?

68 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:17
史記から入ろうとしちゃったんで、時代の流れが全然わからん。


69 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:20
孟嘗君って「食客三千」で有名だったけど、
戦場に出たとか、すんごい善政を布いたとかは聞きませんね。
あっ、ちなみに、宮城谷 氏の孟嘗君は読んでません。
「太公望」でイメージ狂ってからはちょっと・・・。
小説だと「十八史略」と、安能務 氏の「春秋戦国志」ぐらいしか読んでません。

ところで、>>1さん。
このスレ、ageたい?sageたい?

70 :干将 ◆3CKansyo :02/09/02 01:48
鬼谷先生と水鏡先生はイメージがかぶるのは俺だけ?

71 :◆Od6sKlbc :02/09/02 02:41
>>69
メール欄middleにワラタ。
sageでもageでもどちらでもいいです。
ご随意に。ageてもそんなに荒れないっしょ。sageでマターリ逝ってもいいけど。

孟嘗君はそれなりの才覚はあったと思いますよ。食客三千人はカリスマ性(財力かも)をあらわしてるし
秦でピンチに遭ったのも、秦が彼を恐れてのことでしょうからね。


72 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 04:17
最強は楽毅だよねっ!

73 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 10:32
>>72
何をもって最強だと?

74 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 15:37
>>71
>秦でピンチに遭ったのも、秦が彼を恐れてのこと

正確には、秦ではなく趙(武霊王)が恐れた。
秦、趙、宋の連衡に斉が加わることで、趙の立場(連衡相手としての重要性)と
今後の趙の展望に不都合であると考えたのではないかと思う。

75 :歴史カメソ(゜Y゚) ◆23vm31Y2 :02/09/03 01:45
孟嘗君は弱肉強食の戦国時代に薛という半独立国家を保持しますたからね。
漏れはかなりの偉材と思いまつ。
宮城谷氏の受け売りになるが、外交感覚については凄いものを持ってたんじゃないかと思う( ´∀`)

76 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 01:53
>>52
禿げしく遅レスで申し訳ありません、盲都区先生。
一応、それなりの学問は身に付けていたはずですし、食客の中には兵法に明るい人もいたはずです。
ですから、名も無き城を守る、名も無き守将を破る事は、それほど難事ではなかったでしょう。
ただ、自分の能力だけで勝ったかと言われれば、眉唾ものではあります。
しかし、>>60の答えも、あながち間違いとは言えません。
とある城を落として凱旋したときの事(何処の城でどう落としたかは不明)、
城民の一人が、「孟嘗君ってのはチビだなぁ」といった事に腹を立て、食客と共に、
出迎えた城民を皆殺しにした、という話もあります。
その位気性が激しいのですから、「勢い」で城を落とす事もあったのかも知れません。


77 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 02:06
>>75
私もそう思います。
それに、利殖の才にも長けていたのではないかと思います。
国家の運営もそうですし、金貸しなんかもやってましたよね。



78 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 09:16
>>76
孟嘗君が小柄であるのを嘲笑った連中を皆殺しにした話は、秦から脱出して斉に
帰る途中、趙に立ち寄った際の出来事ではなかった?
もっとも、秦と趙はこの時期は同盟関係にあるから、立ち寄るのは不可能な気がする。

この話事態、眉唾ものらしいが…。

79 :◆Od6sKlbc :02/09/04 00:27
>>71
ソウデシタネ。すっかり忘れてた(;・∀・)

>>78
史記の話ですね。
どっかで見たんですが、司馬遷が若い頃、中国全土を漫遊していたときに、薛でひどい目にあったから、
孟嘗君のことを悪く書いたとかなんとか…
実際はどうだかしりませんが、かなり眉唾でしょうね。

80 :◆Od6sKlbc :02/09/04 00:28

>>71>>74


81 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 02:07
>>78
全く、私の記憶の当てにならない事といったら…(苦笑)
仰る通り、秦から脱出する際の話でしたね。(本見て確認) Σφ(.。)
確かに、春秋戦国の話の中には眉唾ものの話が多いですよね。先に出た「鶴公」もそうですし。
仁義一本槍の宋の襄公とか、羊羹の恨みとか。
でも、そんな話もあるからこの時代の話は面白いのかもしれませんね。

82 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 10:06
君主の中では、宋の襄公は上質と思う。

宋の襄公は泓水での敗戦以外は大きな過失はない。
会合の席で楚に拘束された件は過失といえなくもないが、それ以前にも、会合の
さなかに暗殺された例はある。
会合に兵を多数連れて行くのは、何も決まったことではなかったようではあるし。
『春秋公洋伝』では、泓水での襄公の振る舞いを、周の文王を引き合いにするほどの
讃えようである。

83 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 13:10
>>79
>司馬遷が若い頃、中国全土を漫遊していたときに、薛でひどい目にあったから
たしか宮城谷「孟嘗君」の中にこの一節があった記憶が。
…ん?PHPで書いていたエッセイの方だったかな?

>>82
戦国時代になると宋って印象薄いですねぇ(桀宋を除きます)
滅亡寸前までそこそこの領土は保っていたようですが、飛躍が出来なかったのは
殷以来の体制が古すぎたのでしょうか…。

84 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 13:23
>>83
>薛でひどい目にあった

『史記−「列伝」』の「太史公自序」にあるかと。
詳細な内容は不明のようだが。

85 ::02/09/04 23:05
>>78-81

秦の穆公が、愛馬を殺した百姓たちに
酒を振る舞った故事がありますが……
あの話も何かうそっぽいと思いません?

86 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 00:44
>>82
宋の襄公は東アジア最古のドキュン。
こいつを讃えるようになったのは孟子以降。
世渡り下手な儒者が自分達を癒すために四角四面な教条主義的道徳論者たちの
理想的君主としてもちあげた。公羊伝もその流れ。

>>83
そんなことはないが?
戦国時代の宋は滅亡直前まで強大だったし、かなりハデに活躍してるよ

87 :干将 ◆3CKansyo :02/09/05 01:43
>>85
洛陽で九鼎を持ち上げようとして死んだ秦武王や、
12歳で功を立てた甘羅なんかも最高に胡散臭い。
どこまでが本当なのかわからん。

この時代は色々ぁゃιぃけど、そこが好きだったりする。

88 :干将 ◆3CKansyo :02/09/05 01:46
そういえば秦国って名君が多いよなあ。

89 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 01:51
>>82
基本的に、暗君ではなかったとは思いますが、
仁義に固執しすぎたのが悪かったのではないかと思います。
ただ、泓水の戦いでの被害が少なかったら、果たして「過失なし」で済んだでしょうか。
調子に乗って幾度も兵をだし、泓水の戦い以上の被害を出したのではないでしょうか。
内政では有益な「仁」は、戦の役には立ちません。これはその好例でしょう。
これを引き合いにだして遊舌した儒者に対して、他の王侯などは、腹の内では笑っていたでしょうね。
なぜ、宋襄公は自称覇王で終わったのか?と。

>>85
さらに、酒を振る舞われた百姓がその徳に感じ入り、戦の際に穆公の危機を救ったという話が
輪をかけてうそっぽいですよね。

90 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 02:05
>>87
「史上最年少の宰相」でしたっけ?
頭の固い大人よりも、頭の柔らかい子供の方が良いアイデアが浮かぶって事もあるでしょうが…。
よっぽど周りに人がいなかったんですかねぇ?

>洛陽で九鼎を…
まさに「勢い」ですね。
こんな勢いのある政治家が日本に1人でもいたら、多少は(精神的に)救われるのですが。

91 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 02:30
趙の武霊王が最高だね。まったく信長見たいな人生よ。

92 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 11:06
>>91
いってしまえば、武霊王は内を治めきれていない君主。
二流とはいわないが、けっして最高でもないだろう。
恵文王の方が、君主としては理想形に近い。

93 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 14:07
えー、83です。

>>86
ではなぜ、「戦国八雄」とはならなかったのでしょうか?
(すいません、当方ホントに分かってません)

>>91
炎の中で切腹と、幽閉されて飢え死にではだいぶ違うような気がしますが…。

94 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 14:17
>>93
86ではないが、宋が入ってこないのは、戦国期の早い時期で滅亡してしまった
せいでしょう。

95 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 20:17
穴宋

96 :無名武将@お腹せっぷく :02/09/05 21:05
欠宋

97 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/06 01:22
>>93
身近な人間に殺されたって言う点では似てますね。
しかし、信長は内政面にも優れていましたが、武霊王のほうは、内政方面での活躍は聴き覚えがありません。
だから「武」霊王なんでしょうかね。
どなたか、武霊王の内政面の活躍を知っていたら教えてください。m(__)m


98 :干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:26
103 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/18 18:07

                  ∧∧                    ∧∧
.           ∧∧  = / 趙 \.            ∧∧  = / 楚 \
    ∧∧  =/ 魏\ = ( `ハ´)     ∧∧  =/ 斉\ = ( `ハ´)     ∧∧
= / 韓\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ   / 燕\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ =/ 秦\
= ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎  ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎= ( `ハ´)
_( ヽつTつ ◎−>>┘◎        _( ヽつTつ ◎−>>┘◎       _( ヽつTつ
◎−>>┘◎                ◎−>>┘◎               ◎−>>┘◎

↑こんなん見つけた。国力順になってるのが(・∀・)イイ!!

99 :干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:28
>ではなぜ、「戦国八雄」とはならなかったのでしょうか?

春秋「五覇」もいい加減な罠

100 :干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:28
>>99
「も」はおかしいな。

ついでに100ゲット

101 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/06 10:55
>>97
治績に関しては、あまりはっきりしていない。
武霊王の事績は、軍事と外交が専ら。
胡服騎射、北方巡察、胡の懐柔や従属化、諸国への朝臣の派遣…など。
胡服騎射に関しては、北方の原陽という城邑を騎士のための俸邑としているなど、
かなり力を注いでいた模様。
即位当初は、肥義に国策を委ねて秩禄を増やすなど、全幅の信頼をおいていた由。
成人後の外交戦略は、かなりの手腕とみていい。

102 :歴史カメソ(゜Y゚) ◆23vm31Y2 :02/09/07 08:12
五覇とか、七雄って後の史家たちが決めた事でそ?
陰陽五行とかの影響で、そういう形に強制的にまとめられたと思われ。

その辺の事情と併せて、色々と過去スレ?に乗ってるな
http://curry.2ch.net/warhis/kako/978/978495418.html


103 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 10:41
五覇も七雄ももともと数字に具体的な意味はない。
5、6人の覇者。7、8ヶ国の雄国ぐらいのアバウトな意味だったのを
後世にこじつけて具体的な名を列記するようになったんだろう。

覇者はぜんぶで8人もいるから5人どころじゃない。
それと七雄は戦国末期に秦が強大になってから、
“合従策・連衡策”がらみで関係した国々をいったのであろう。


104 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/07 12:29
呉の伍子胥は有能な軍師だね
それに比べて呉王夫差と来たら・・・

105 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:42
>>30
「晏子」
昨日買って上、中まで読んだけど黒い部分があって面白いね

>>104
孫ビンについて語ってみろやゴルア


106 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:47
                  ∧∧                    ∧∧
.           ∧∧  = / 趙 \.            ∧∧  = / 秦 \
    ∧∧  =/ 魏\ = ( `ハ´)     ∧∧  =/ 楚\ = ( `ハ´)     ∧∧
= / 韓\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ   / 燕\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ =/ 斉\
= ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎  ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎= ( `ハ´)
_( ヽつTつ ◎−>>┘◎        _( ヽつTつ ◎−>>┘◎       _( ヽつTつ
◎−>>┘◎                ◎−>>┘◎               ◎−>>┘◎


107 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:51
【中国の戦国七雄】
燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
【日本の戦国七雄】
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
今川義元・織田信長・豊臣秀吉


108 :koei:02/09/07 12:51
この時代を扱ったゲームはありますか?

109 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:54
>>107
なぜ、徳川家康は日本の戦国七雄に入らないのかな?


110 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 17:52
十八史略が文庫で出てるけど、岩波とかじゃなくて、>>66のとこが
出してるんだよな。史記の読破は難しいって人には十八史略ってお勧め
なんだけど、如何せん>>66のとこなんだよな。


111 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/07 17:55
>>104
なぜ孫[月賓]について語らねばならないのかと(以下略)


112 :105:02/09/07 18:57
孫[月賓]は孫堅の子孫じゃん
あと〔月賓]の字辞書登録したよあんがと


113 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 18:58
>>112

微妙に・・・・。

114 :105:02/09/07 18:58
>>104って損権自身じゃん
暴走してゴメンナサイイッテキナス

115 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 20:12
>>114
111のミスじゃないの?

116 :干将 ◆3CKansyo :02/09/08 01:06
>>93
斉の桓公も飢え死にだっけ?
覇王と言っても悲惨だよねえ。

117 :葉鍵ヲタ:02/09/08 02:10
みんなぁ、とりあえず海音寺読んでみろよ。

素人さんが入るには最適だし、ちょっとした玄人さんを自認するような人も
チェックに向いてると思うな。たぶん文春文庫で中國英傑伝がまだあると思うし。

そういや学生時代、先秦ゥ子繋年を自力で訳出した途端に深勢の東周年表が出てヘコンだな(w

118 :干将 ◆3CKansyo :02/09/08 03:19
新編 史記東周年表という本を買ったが、エライ高かった。

119 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 03:22
>>107
大友、大内、尼子、長宗我部、三好、伊達、明智
が入らないのは納得できない

120 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 08:34
最強は李牧だとオモワレ

121 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 09:00
>>116
飢え死にじゃなくて病死したあと後継者争いで死体を放置され
蛆虫がわいたと記憶している。

122 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 09:04
史記、戦国策、春秋、論語、菅子、孟子、荀子

123 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 11:38
【中国の戦国七雄】
燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
【日本の戦国七雄】
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
今川義元・織田信長・豊臣秀吉
【日本の新生七雄】
自民党・公明党・保守党・民主党
自由党・社民党・共産党


124 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 13:27
>>92
武霊王は確かに息子に殺されてしまった。だから、内政面を考えるとあんたの
ゆうことにも一理ある。しかし、当時王族、豪族、家臣を説き伏せ胡服騎射を
取り入れ、趙を大国に築き上げた功績を忘れてはいないか?  恵文王は彼の
功績があったからこそあそこまで出来たのだ。それに恵文王が有能であった
のではなく、その家臣たちが有能であったのだ。それを忘れてはいけない。

125 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:08
>>124
家臣の才能が発揮できたのも恵文王の有能さ故という一面もあると思うが。

126 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:09
>>124
版図を飛躍的に拡大させ、尚且つ軍事力を増大させた事績は、ひとつの功績として
認めている。
ただ、急激な改革に伴う弊害や恣意的な後嗣の代替による危機的要因を生んでいる
のも事実。
軍事的能力の傑出した君主として、秦に北方経由で侵攻する計画など、現代の観点から
すれば、多くの可能性を秘めた胸の躍るような印象をもつのはわかる。
…が、こと中国においては、やはり内(家庭)をまとめられないことは問題。

有能無能を問わず、人材を見出し用いるのは君主の資質に大きく依るところ。
趙奢や藺相如は軽輩の人物であり、たとえ周囲の人間の推挙があろうと、最終的に
は君主の意向如何。

有能な君主が名君なのではなく、有能な人材を用いるのも名君である、ともいえる例
ではないかと。

127 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:11
もし○○が生きていたら、始皇帝は天下を取れなかった!
この○○に当てはまる人物なんて、本当にいたのかな?


128 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:24
蘇蓁







嘘ですごめんなさい

129 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 19:03
>>127
荘襄王、とかいってみるテスト。

長生きしていたら微妙に歴史が食い違ってくるような気がする。

130 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:09
>120
李牧ってだれ?

131 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:16
>>130
騎馬民族に対する戦い方の基礎を確立した趙の将軍。
秦との戦争でも活躍するが、秦の謀略により、趙王に疑われて誅殺の憂き目に遭う。

132 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:21
>>123
>【中国の戦国七雄】
>燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
>【日本の戦国七雄】
>武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
>今川義元・織田信長・豊臣秀吉
>【日本の新生七雄】
>自民党・公明党・保守党・民主党
>自由党・社民党・共産党
激しく同意!


133 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:40
関平(横山画)「父上のばかっ!」
とうとう関平(横山画)は泣き出した。
そのいたいけな泣き顔(横山表現)に関羽(横山画)の気持ちも少し揺らいだが、
ここで負けては父親の権威失墜である。通る声で負けじと怒鳴り返した。
関羽(横山画)「口が過ぎるぞ関平!おぬしは無双2のタメ口関平(凡庸デザイン)か!」

 ガーン(横山画関平のビックリ顔)

関平(横山画)「なんとっ。父上といえども言ってよいことと悪いことがございましょう!
 よりにもよってあのようなその他大勢者と一緒にされるとはっ!」
なんだかんだいっても、無双2で顔がもらえなかったことを気にしていた関平タン(横山画のだけども)
の胸に、この一言は深く深く突き刺さった。
二人の大喧嘩の様子を、関興と関索(共に横山)、二人の弟もハラハラと見守っている。

きっかけは些細なことだった。
門限(午後6時)を5分だけ遅れてしまった関平(横山画)は、鬼神のような関羽に玄関先で出迎えられた。
実際鬼神なのだが。
関羽(横山画)「この不徳ものめがっ!」
関平(横山画)「待ってくだされ父上、話を聞いてくだされ」
言い訳など聞く関羽(横山画)ではなかった。
心優しい関平(横山画)は、学校の帰りに風邪を引いた俺の見舞いに来てくれただけなのだが、
悲しいかな、実直第一が髭の生え方にも現れているような関羽(横山画)に善意の遅刻など言い訳にはならなかった。
頭ごなしに怒鳴りつけられた関平(横山画)は、悔しさを堪えて最初はひたすらに耐えていた。







134 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:54
山崎渉
   ____
    /:::::::::::::::::::::\     ひきこもり。童貞。粘着。自作自演。
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\    
 |:::::::::::|_|_|_|_|_|    以前、某所で高額基板を購入。中身に納得がいかないことから
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ     以後、特定の個人に対して異常なまでに憎悪を持つようになる。
 |::( 6  ー─◎─◎ )
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)  劣等感の塊で、スレを荒らすことのみで自我を保っている。
 |   <  ∵   3 ∵>   論理的な思考が出来ず、コロコロと自分の主張を変える。
/\ └    ___ ノ    自分に不利な意見には目を通さず、
  .\\U   ___ノ\     あくまで自分の土俵で相撲をとろうとする卑怯者。
    \\____)  ヽ  本人は理論派と思っているが、その論旨は見ての通り矛盾だらけ
                   友達は居ない、近所から嫌われてる






135 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 22:41
もし戦国七雄のうち、秦以外の六国が女尊男卑だったら?


136 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/10 02:32
>>126
恵文王の家臣に対する権力はどれほどあったんだろう?

>>135
始皇帝が生まれる前に天下統一
若しくは、始皇帝がもっと早く(やりすぎで)死亡


137 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/10 10:01
>>136
>家臣に対する権力はどれほどあったんだろう?

君主と臣下の間における権力構造を、程よく理解していると思われる。

恵文王の人となりや臣下への対応をみると、年齢に似合わず、過度な自己主張が
極めて少ない。
威丈高なもの言いも無く、局面下における臣下の言を聞いたうえでの自己判断も、
君主として及第点以上。
若くして王位に即いてより、依然として現役だった主父や、その死後の公子成や
李兌など、王権を蔑ろする人間に長く接してきたせいなのか、若年期からすでに
保身や隠忍自重というものがわかっていたのではないか。

有名な秦昭襄王との会合でも、不本意ながらも藺相如の言を聞き入れて臨んでおり、
出発に際しての廉頗の「日数を越えれば太子を王に起てる」の言にも理解を示して
おり、臣下として、これ以上に仕えやすい君主はいないかもしれない。

藺相如や趙奢などの軽輩を抜擢する人事も悪くないうえ、閼与の戦いでは武官への
諮問に対し、救援に難色を示す廉頗や楽乗にも不快を示さず、自薦した入閣間もない
趙奢を起用し、勝利後は廉頗に匹敵する地位を与えるなど、これで名君といわない
方がおかしいのでは?

138 :盗セキ:02/09/10 15:36
俺が最強

139 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 02:39
>>137
>>136です。
概ね同意です。
人によっては、>>137のレスに対し、「臣下の進言を右から左へ流しているだけでは?」
と考える人もいるとは思いますが、有能な家臣がいつまでも同じ国に居続けさせるというのは、
やはり恵文王の人徳であり、内を良く治めていた証拠だと思います。
特筆すべきは、秦昭襄王との会合でしょう。
強情な君主なら、国が滅びようと、かまわず兵を差し向けたでしょう。
逆に、臆病な君主なら、会合には行かず、篭城戦の準備に奔走したでしょう。
臣下に絶対の信用を持っていたからこそ、会合に望む事もできたのだと思います。
その人柄こそが、臣下に専横する事も考えさせなかった、恵文王最大の力だったのではないか、
と思います。
権力バランスとしては、丁度良くなっていたのでしょうか。

ですが、名君か?という事になると、私は、恵文王は、可も無く不可では絶対に無く。
強いて言うなら、「中の最上級」と考えています。又は「殿堂入り半歩手前」って所でしょうか。
ちなみに、私の考える名君は、楚荘王です。

140 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 07:06
恵文王という諡号からして臣下から尊敬されていたのがわかる

武霊王という諡号は、武と霊で功罪半ば。

141 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 11:41
>>135
秦以外の六国が女尊男卑だったという説もあるよ。


142 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 23:35
横山史記しか読んでないので、恵文王がヘナチョコ君主だと思ってました

143 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 23:48
>>142
恵文王に関しては、『戦国策』と『史記列伝』を読んだ方がいい。

144 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/12 01:46
>>142
横山史記に出てくる君主は、凄い人か、ヘナチョコかになりがちですね。
でも、気宇壮大な人でなければ、あのような対応が普通だと思われます。
今でいうなら、「ヤクザの事務所に飛び込んで来い」みたいなものでしょうから。
春秋戦国ものの本(小説など)も探せば結構ありますので、
頑張って探してみてください。
書く人によって、登場人物の印象が微妙に違ったりするのも面白いですよ。


145 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/12 12:18
>>141
えっ!
それは、本当か?


146 :142:02/09/12 23:30
>>142
>>143
こんな丁寧なレスが帰ってくるとは・・・・少し感動しました

147 :142:02/09/12 23:32
↑は
>>143
>>144
の間違いでした。スマソ

148 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 00:02
そういえば、春秋戦国期ほど「怨み」を原動力に名を残した人々が出る時代って無いですよね。

149 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:13
有名なところでは、羊斟、巫臣、伍子胥、趙無恤、越王・勾践、張儀、孫[月賓]、
范雎、燕太子・丹 …あたりか?

150 :干将 ◆3CKansyo :02/09/14 00:14
>>149
呉王・夫差たんも入れてあげてー。

151 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 08:11
タイプは違うけど予譲も復讐に命をかけたね

152 :伍子胥好き:02/09/14 12:20
>>150
呉王・夫差は父親の遺言を守っただけ。恨みが原動力とは思えん。結局、越王・勾践を殺さず
覇者にもなれず、伍子胥を殺したけどね。



153 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 14:38
呉王・夫差と並べて評されることが多い知瑤(知襄子)。
彼の場合、趙無恤(趙襄子)に怨まれたわけだが、呉王・夫差と同様に、初めは
良かったが終りが甚だまずい。

面白いことに、双方ともに賢臣と佞臣が存在し、用いるべき人選を誤っている。
夫差は伯[喜否]を用いて伍子胥を斥け、知瑤は知果の言を用いず張武を信じた。
翻って勾践や趙無恤は臣の良否をよく見抜いた。

やはり盛衰や興亡には必然が存在するのかも…。

154 :sage:02/09/14 22:11
伍子胥=孫武という説があるけど、どうなんだろう?
確かに、孫武の活躍が史記にあまりないし、伍子胥の息子が、
斉に移り住んだことなど、うなずけるものもあるが、
孫子の兵法書が発見されたことで、孫武の実在性も
否定できん。


155 :154:02/09/14 22:14
あげてしまった・・・。すんません。

156 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 22:18
今NHKで兵馬ようやってる


157 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 01:31
>「怨み」を原動力
儒教が士大夫に浸透した後世では、あまり見られなくなったのかも。

158 :干将 ◆3CKansyo :02/09/16 01:20
>>152
そういえばそうですね。
でも「臥薪」嘗胆っていうぐらいだからいいじゃないかヽ(`Д´)ノウワァァン
しかし呉王コウリョは変な死に方したよなー。
あっけない。

>>154
初耳です。
でももし本当だとしたら「日暮れて道遠し」の故事は成立しない・・・。

159 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:30
>>140
「恵」は実は暗君につけられることが多い「おくりな」らしい。
漢恵帝や西晋恵帝が代表格。
春秋戦国時代では晋恵公や魏恵王、燕恵王など、
国を弱体化させた君主はこの「恵」が結構使われているね。

160 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:58
『逸周書 諡法解』によれば、

「柔質受課曰惠」
…とあり、”性質柔和にして諫言をいれる”といった意味になる。

161 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:09
勾践も結果的あんまり良い君主とは言えんよね
ハンレイは共に苦しむことはできても栄華は分かち合えない人だっつうて出奔してるし
残ったショウは結局怖れられて自殺を賜るし。
ここらへんて呉の孫武と伍子胥の末路と同じだ。

162 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:12
>>160
へぇ、ということは結構良い諡号なのか・・・
じゃ、アホ皇帝だった西晋恵帝も実は優れた人物だったということか。

163 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:51
>>162
諡号というのは、実際には事績と合致しない場合も多い。
とりわけ漢の恵帝の時代は呂后の治世だったといった方が事実に近く、その呂后の
治績は高い評価を下されている。
実子でもあり、そのあたりの影響もあるだろう。
西晋の恵帝は存じないので、なんとも…。

164 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:16
もし○○が生きていれば、始皇帝は天下を取れなかった!
本当に○○に当てはまる人物なんているのかな?


165 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:18
荊軻

166 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:19
>>165
なぜ?


167 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:23
ロウアイ

漢字がでない。

168 :167:02/09/16 17:28
黄アツ(春申君)

169 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:41
荘襄王

170 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:31
傑宋

171 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:05
>>164
やっぱ李牧でしょ?

172 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:52
信陵君魏無忌にきまっとる!
だれか、小説書いてけれ!

173 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:10
>>163
確かに、漢恵帝の時はそうですね。
まあ、私も古代中国史を受けた時にきいた内容の受け売りなので、
そういった書物があるのならばそれが正しいのではないかと思います。

ちなみに西晋恵帝は精神薄弱だったということで、皇后が政治の握っていたそうです。
それが原因で後に八王の乱がおきてしまったのですが、結局恵帝ではその乱を治めることは出来なかったそうです。

174 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:11
もし秦以外の六国が女尊男卑だったら?


175 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:24
>>172
宮城谷センセ。頼みます書いてください

176 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:11
>>173
確かに、西晋の恵帝は暗君であったと言われてますね。

武帝の時代、皇太子に決まったとき重臣の一人が
「ああ、この座がもったいない。」と玉座を撫でたという話。

また、戦乱と飢饉のため民衆が暴動を起こし、「米をよこせ」と
王宮にまで迫ったとき、「米がなければ、肉を食えば良かろう。」
と答えた。(マリー・アントワネットの話とそっくり)

しかし、恵帝のいい話もあり、反乱軍が宮廷内に乱入したとき、
ケイ紹という側近が恵帝を身を挺してかばった。この側近は殺され、
恵帝はこの側近の血で染まった服のまま救出される。
その服を着替えるように勧められると、
「この服に付いている血は、ケイ紹の血だ。
洗い落としたり捨てたりしてはならん。」と言ったという。
このエピソードから、実は暗愚な人を装っていたのではないか。
と、宋の司馬光が書いてますね。

長文sage





177 :ゲーム厨:02/09/17 00:57
信長の野望 将星録では日本の戦国の七雄は

伊達政宗・北条氏康・上杉謙信・武田信玄・織田信長・毛利元就・島津義久

になってましたが妥当だね。異存がある者はおりますか?

178 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 01:01
>>176
>実は暗愚な人を装っていたのではないか。
なるほど、確かにそんな感じもしますね。
ということは、そういうことも加味されて諡号が「恵」になったというわけですね。

では、春秋戦国の各「恵」の諡号のついた公や王もそんな感じの人達だったということなんでしょうか?

179 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 08:12
>>178
少なくとも、晋恵公と燕恵王は愚昧としかいえない。
晋恵公は、賢臣の言を容れず挙句には誅し、平然と背約を行ない、国家を傾かせた。
燕恵王は、容易に諜報工作に懸かり、名臣を更迭し、最後には弑された。

他の君主には、再検討の余地がある。

180 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 08:15
>>171
李牧がいようといなかろうと、大勢に大きな影響はない。
統一が数年遅れるだけ。

181 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 00:49
>>180
>統一が数年遅れるだけ
それを言っちゃったら、誰が生きてても無理って事でしょ?
孔子が復活しようと、孫子が復活しようと、楽毅が復活しようと。
ってことは、結論としては?
「誰もいない」が正解。

182 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 07:17
>>181
「皇帝」の元に高度に組織化された帝国に英雄的人物が小国を率いても戦術的勝利はともかく
戦略的勝利を納めることは難しかったということだろうね。
高度に組織化されていたから商君の悲劇も起きてしまった。

183 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 19:24
そう言えば贈り名のXX帝とかってその人の功績で付くらしいね
霊帝の霊とかは碌なことをしなかった奴につくだとか

184 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 21:28
厨帝

185 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 23:53
>>184
偉大なる称号だ

186 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:54
>>185
「オクリナ」は死んでから貰え

187 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 23:55
>>186
まてまて、俺は>>185はもらえば偉大な称号だと言っただけだぞ

188 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:00
>>187
あっ
失礼
よし、俺からも授ける
「固帝(固定ハン)」
厳しー

189 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:05
>>188
一瞬俺の周りが氷点下になったぞ

190 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:12
>>189
大丈夫
あなたはいつも
氷点下
by屈原

損権見苦しいsage

191 :干将 ◆3CKansyo :02/09/19 00:16
>◆eUbtZCI.
頼むから雑談はよそでやってくれ。


李牧が生きていれば・・・というのは日本で言えば蒲生氏郷の評価と近いかな。

192 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:30
言うなれば漏れはモウスイだ

193 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:41
>>191
まあ、>>182だろ

194 :たま:02/09/19 00:50
韓非子 これ最強のどもり

195 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:57
岩波の韓非子買ったけど、なかなか進まない。
ちょっと読みづらい。

196 :181:02/09/19 01:03
>>179
後の商君を採用しなかった魏恵王はどうでしょうか?
軍事力はあったけど、人を見る目が無いって辺りで評価が難しいのですが。

>>182,191,193
私もそう思います。
あくまで、個人に限った場合は「誰もいない」という結論に達するということでしょうね。
組織化された強大国を相手に、個人で戦局を変えるのであれば、
荊軻の様に暗殺という方法を採らざるをえないでしょう。
むしろ、荊軻が暗殺に成功していたらどうなっていたか、という方が興味ありますね。

>>192
錐の先が無い上に、小さすぎて袋に入れたら見つからずに忘れ去られるんだろう?


197 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:24
>>196
仮に始皇帝の暗殺が成功しても、
秦の中華統一への動きにさほど影響はなかったと思う。
統一までは大きな混乱はなかったと思うが、
統一後早い時期に混乱し結局次の王朝が誕生したと思う。

198 :196:02/09/19 01:44
まあ、歴史の流れで行くとその通りですね。
ただ、秦王政の後は誰が継ぐのか?とか、そういうのがあるじゃないですか。
まだ長男の扶蘇も生きていたし、急なことだから趙高も陰謀を張り巡らせる暇は無いだろうし、
忠勤の家臣もいる。
扶蘇は、焚書坑儒には反対していた事から、刑罰を軽くする方向に動いたかもしれない。
そうなると、農民蜂起も起きなかったかもしれない。
とか思うわけですよ。

199 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:48
>>196
先に商君を採用した秦について考えると、
商君が秦において様々な富国強兵策を行い秦は飛躍する力を得た。
商君は「仕組み」を作った。

恵王は富国強兵に興味を持っていたが、
それを実行するために優秀な人材が必要であるということを深く認識していなかった。
結局、商君の作り上げた仕組みによって魏は滅ぶ。
大げさに言うと、魏は自らが不要と判断した人によって滅ぼされた。
恵王が商君を知ろうとし、実際知っていればこれを重く用いただろう。
しかしそうならなかったのは、恵王の器がその程度でしかなかったという
事だと思う。

200 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:58
>>199
確かに、公叔座の推挙とはいえ、当時は名も売れていなかったし商君の実力
の程はわからなかったのでしょうね。
それと、私の持っている本だと(全部小説か漫画)公叔座が推挙したときも、
魏恵王は、「ああ、老衰でボケちゃったんだな」って理由で重要視しなかったとありました。
実際の理由はどうだったのかわかりませんが、やっぱり人を見る目が無かったんですね。

200ゲトー


201 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 02:00
>>198
確かに実際よりも長く秦が続いたかもしれない。
ただ、郡県制による中華全体を中央集権体制で支配するのは難しいと思う。
秦の次の漢は、郡県制と王族を各地に分散させて領国を与えるという緩やかな
中央集権制を採用したことで安定した。
秦が漢のような統治を行えれば安定したかも知れないけど、
その可能性は低いのではないだおろうか。

刑罰に関しては大規模な事業を行わなければならない秦が、
奴隷を捨てる覚悟と事業の中断の両方を決断しなければならない。
これも実現は難しいのではないだろうか。

なんか、あなたの意見を否定するようなことばかりで申し訳ない。

202 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 02:01
>>200
史記でも、
「公叔座は病気でおかしくなっている」と側近(誰か忘れた)に話してる。

203 :179:02/09/19 10:33
>>183
>>160>>163でも書いたが、『逸周書 諡法解』を読むべき。
「霊」は必ずしも悪号ではない。
最上は「文」、最悪は、一般的には「氏vや「幽」。

>>196>>199>>200
魏は国体に問題がある。
秦が羇旅(客臣)を用いるのは常套だが、魏においてそれがあるかといえば、かなり
難しい。
魏は代々、宰相となる人物が近親者や、他国出身者であっても大半が高官であり、
賤臣や陪臣を登用することは、まずない。
だいいち文侯からして、テキコウではなく公子成を宰相にしている。
韓ですら、昭侯が賤臣である申不害を用いたというのに…。

>>200
公叔座は没する前年に、小梁での秦との戦いの際に大敗して捕虜になっており、
(おそらくは返還の交渉を経て)魏に帰国するが、間もなく没している。
多分、敗戦による失意か、負傷した傷が祟った、というあたりではないだろうか。

204 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 14:48
>>203
隋2代煬帝の「煬」も悪号だけど、「氏vや「幽」よりは上なんですかね?

205 :179:02/09/19 16:09
>>204
同じく『逸周書 諡法解』によれば、

「去禮遠衆曰煬 逆天虐民曰煬」

…とあり、あきらかに悪諡。

意味が明瞭に読み取れ、たしかに「氏vや「幽」よりも悪く感じる。

206 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 22:07
ところで。
統一後の秦は、始皇帝から後の諡号ってあったのでしょうか?
無かったとしたら、どのような諡号がふさわしいのでしょうか。

207 :干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:38
二世皇帝 胡亥、三世は子嬰(皇帝を名乗らず秦王を名乗った)。
子嬰は劉邦に降ったが、項羽に斬られた。

208 :干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:57
諡号といえば。
俺の中では「?」が付けられたくない諡号ナンバーワン。

209 :干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:59
>>208
すいません。[?昏]です。

210 :干将 ◆3CKansyo :02/09/20 01:00
>>209
うわぁ・・・。[シ昏]です。
(さんずい、氏、日)

211 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 02:36
>>201
いえいえ、別に否定的でも構いませんよ。
むしろ、私は反対意見の方が好きです。
確かに、あの広大な中国を、当時の(現在と比べると)稚拙な法では多少ムリがありますね。
始皇帝が生きている間ならば、あれでも良かったのかも知れないし、
戦乱の最中に作られた法だから、結構穴等もあったのでしょう。
現在と比べれば識字率も低いし、皆が法を知っていた訳でもないでしょうし。
天下統一というのは、始皇帝だからこそ出来た偉業なのでしょうかね。

>>210
それって、「ビン」って読むんでしたっけ?
ちょっと記憶が曖昧ですが、有名な人だと、誰がその諡号つけられてましたっけ?

212 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 10:23
有名どころでは、田斉のビン王がかなり悲惨と思われ。
自国を滅亡寸前に追いやった上に亡命先からも総スカン、
最後は客将に裏切られて横死。

213 :179:02/09/20 11:57
>>208>>211>>212
[シ昏](ビン)は「閔」にも通じ、『逸周書 諡法解』では「愍」となっている。

「在国逢難曰愍」‐国内にあって乱や賊に逢う
「使民折傷曰愍」‐天災や災害により民が夭折
「在国連憂曰愍」‐国内にあって騒乱がつづく
「禍乱方作曰愍」‐天災や内乱が終わらず

…の四つがあり、無論、悪諡。

214 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 14:11
>>206
確か統一秦では諡号は天子である皇帝に対して死後、家臣が
皇帝に名前を付けるのは失礼だとして禁止しています。
だから、胡亥、や子嬰は2世、3世皇帝と呼ばれています。

215 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 15:38
皇帝は不可侵の存在となったからな

216 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 00:17
>>212,>>213
今日電車の中で読んでいたら丁度その部分でした。
その諡号を付けられるのも当然、って書かれ方をしてました。
ところで、このスレでよく見かける『逸周書 諡法解』ですが、どこで見つけましたか?

>>214,>>215
始皇帝自身も、「諡を付けることは許さず、万世に至るまで皇帝を称し続ける事」
として、自らを「始」として始めたんでしたよね。



217 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 00:54
>>164
張良

218 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/21 14:49
今、横山の史記1巻読んでたけど伍子胥って恵まれない奴だね

>>217
取ってるじゃん・・・

219 :2チャンネルで超有名:02/09/21 14:52
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220 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 15:32
横山光輝の史記では、
秦=悪玉
楚=善玉
このような図式だよ。


221 :217:02/09/21 23:48
>>218
突っ込んでくれて嬉カタYO!!だれも突っ込んでくれへんかとオモタ。

ちなみに2巻だな

222 :干将 ◆3CKansyo :02/09/22 00:23
222げと。

>>211
>>212さんが書いている斉王。
「昏君」って感じがするんで、嫌な諡号だよねえ。

223 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 09:28
>>221
史記には功労を立てたのに処刑されたり自決を言い渡されたりしている人がいっぱいいるね
伍子胥とか韓信とか范増とか
可哀相と言えばなんだけど2300年以上経った今でもこの図式は変わらないんだよね・・・

224 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 15:40
そりゃまあ功が成った後は有能な功臣ほど怖いもんはないわな
明の太祖なんかも気持ちの良いくらい首飛ばしてるし

ちなみに亜父は殺されてないぞ

225 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 15:44
>>224
まあ、223が「あほ」ということで・・・。

226 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 16:40
>>227
おっとそう言えばそうだったな>范増
まあ殺されたみたいなもんだけどね

227 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:43
日本の戦国七雄には、どの7名を選ぶかな?


228 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:43
読み手にも伝わるような文にしろカス。
>まあ殺されたみたいなもんだけどね
ハァ?知障?


229 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:44
>>226
消えろよ、荒れるから

230 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:45
>>227
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・伊達政宗


231 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:48
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘

232 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:48
>>228
荒らすな
>>229
無視しよう

233 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:50
>>231
豊臣秀吉を入れるなら、伊達政宗も入れないと不公平だよ!
どうしても島津義弘を入れたいのなら、
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘・伊達政宗
この7名を選ぶべきだよ。


234 :231:02/09/22 16:52
または、
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・島津義弘・伊達政宗
この7名を選べばいいよ。


235 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:52
四国は無視ですか?

236 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:53
というかここは中国史のスレだす
日本史の話は別でどうぞ

237 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:54
>>233
つまり、貴方の意見は、
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘・伊達政宗
または、
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・島津義弘・伊達政宗
ということだね?


238 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:59
こないだレンタルで始皇帝暗殺みたんだけどさあ
荊カが頭の弱そうな殺し屋でちょっと萎えだったよ、
やっぱし慶卿は文武両道の侠客として描いて欲しかった。
他は凄く良かったんだけどね。趙姫きれいだったし。

239 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:04
>>238
ああ、あの映画面白くないよね
暗殺しに行くという緊張感が全くないもん
退屈だった

240 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:06
邯鄲攻防戦のみ、良かった…。

241 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 17:07
>>238
始皇帝暗殺←これがタイトルなの?

242 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:08
孔子を映画化すると面白いかもね
放浪、仕官、放浪、弟子の教育をしながら
大志を果たせず死んでいく

243 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:09
>>241
確かそうだ

244 :無名武将@お腹せっぷく :02/09/22 19:28
荀子の映画化きぼん。
ごめん史料ない。

245 :損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 19:30
>>243
サンクス

246 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:41
孔子は一度、NHKか何かでアニメになってたと記憶しているが、誰かご存知?

247 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:08
>>246
見た見た
子路がカブキ者風だったのが笑った
内容は全くおぼえてないけど

>>244
荀子かあ
孟子、韓非子と絡ませつつストーリーを考えれば
知ってる人にとっては面白いかも
知らない人には「理屈っぽい」の一言で片付けられそう

248 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 00:57
>>244,>>247
荀子ですかぁ…。
なんかピンポイント過ぎて映画化は難しいのでは無いでしょうか。
それに映画よりも、30分アニメとかの方が良いのでは?


249 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 20:02
>>222
[シ昏](ビン)の諡号の君主では、南宮長万に弑された宋の閔公も有名だと思う。

250 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 01:23
>>249
戦に負けた南宮長万を馬鹿にしたら殺されちゃった人でしたっけ?
でもそれだけで「閔」の諡号を付けられてしまうものなんでしょうか?
それとも、南宮長万の力を恐れた臣下が諂って付けたものなんでしょうか?
どなたか詳しい方、詳細よろしくお願いします。

251 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 03:06
?公の9年
宋に水害が起きた。
魯は宋に使者を送って水害の見舞い挨拶をした。
?公は「私の行い、政治が悪かったので水害が起きてしまった」と自分に責任があると
使者に話した。
これを聞いた使者は王の姿勢に感動した。
しかし、?公の言葉は公子の子魚の入れ知恵だった。

?公の10年
宋は魯を攻撃した。
この戦いで宋の南宮万が魯に捕らえられた。
宋は魯に南宮万の返還を求め、魯はこれを承諾し南宮万を返した。

?公の11年
?公は南宮万と狩りに出かけ、その途中すごろくの勝負が元で喧嘩をした。
?公は怒り、南宮万に恥をかかせようと「お前は魯の捕虜じゃ」と言った。
南宮万は羞恥心から感情が高ぶり?公を殴り殺した。
公宮に戻った南宮万は公子の游を宋君として擁立しが、
他の公子達の反撃に合い陳へ逃げた。
宋は?公の弟を即位させ、桓公が新しい君主となった。
桓公は陳に使者を送り南宮万の身柄の引渡しを要求し、宋はこれに応じた。
南宮万は宋で殺され醢(しおから)にした。

史記によるとこうなってるね。
9年の使者への話は自分が全く思っていないことを言っており不仁。
10年の魯への攻撃は、前年の魯の礼に対し非礼。
11年の南宮万への行為は不仁から出た非礼であり、
しかもその後宋を一時混乱に陥れる行為。
?の名は相応であったかも知れない。


252 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 03:12
?になってるのは「ビン」です

>>250
>南宮長万の力を恐れた臣下が諂って付けたものなんでしょうか?

南宮万が宋を牛耳っていたころの宋の君主は正式な君主として数えられていないかも。
そうなると南宮万が牛耳っていた頃の事は無視されるだろうから
ビン公のおくりなを決定していたとしても、桓公が改めて決めた可能性が高いのでは?
手元に史記しかないままの想像なので間違っているかも。

253 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 03:14
>桓公が改めて決めた可能性が高いのでは?

「桓公の時期になって改めて決めた可能性が高いのでは?」に訂正。

254 :179:02/09/24 10:15
>>252
閔公の弑されたのが閔公10年(前682年)で、南宮長万の擁立した公子游は同年に
殺されて、公子御説(桓公)の元年が前681年であるから、君主として数えないのが
正しいと思う。
勿論、公子游には諡号は無い。

ちなみに『春秋左氏伝』によると、閔の諡号を贈られた君主・捷の在位期間は、
衛を伐つことが一度あるが、以降は魯に侵されることが一度、魯を侵しながらも
撃退されることが二度ほどあり、軍事に関しては芳しくない。
くわえて天災にあっては仇敵然とした魯に弔われる始末で、散々だった模様。

255 :公孫無知:02/09/25 00:15
段々自分の発言が見づらくなってきたのでコテハンにしました。
今後もよろしくお願いします。

>>251-254
丁寧な詳細等など、有難うございます。やっぱりここは良いスレですねぇ。

>公子游には諡号は無い
なるほど。という事は>>252の説は、かなり説得力がありますね。



256 :公孫無知:02/09/26 01:03
密かな疑問。
皆さんは、楚荘王をどの様にお考えでしょうか?
「荘」がどの程度の諡号なのかはわかりませんが、
個人的には、春秋戦国期で五本の指に入る英君だと思っております。

257 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 03:56

漢和辞典によると「盛ん」という意味。
原義は「草が勢い盛んに生い茂るさま」。

なんとなく夏っぽいイメージ。
『史記』でも他国との戦いに勝利し領土拡張を実現した侶は
正に「荘」の諡に相応しい。
彼自身は政治よりも戦争に優れたが、
人の意見を容れる器量を十分に持ち合わせていたようで、
荘王自ら滅ぼした鄭の君主の徳を認めると再び鄭を立てるなど義を守った。
また、君臣の道にもこだわり自分に刃向かった家臣や他国の逆臣に対しては
容赦なくこれを滅ぼした。
政治面で更に大きな実績を残していれば、「文」の諡を貰った人物かもしれない。

258 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 04:39
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/
ttp://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/

ちらっと見ただけなんだけど、上の二つの人物伝はがんばってると思う。
紹介されている人物数が多いので若干本文が短いのと
管理者本人の批評がすくないのが残念。

259 :179:02/09/26 09:54
>>256
『逸周書 諡法解』では…

「兵甲亟作曰莊」
「叡通克服曰莊」

…などがあり、外敵をよく討伐したり、諸侯を屈服させた君主におくられる諡号で、
勿論、美諡。

「亟」には”すみ-やか”、「叡」には”あき-らか”、「服」には”した-がう”
といった意味がある。

春秋期に、他に「荘」の諡号をおくられた有名な君主といえば、鄭荘公や魯荘公、
斉荘公あたりで、いずれも軍事面での事績が多い。


260 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 10:25
>>242
孔子そのものよりも、弟子の顔回をサイキック・ヒーローにした酒見賢一氏の
「陋巷(ロウコウ)に在り」
を映画化した方が、中国版の陰陽師のような感じだから、
興行的にはおもしろいと思う。

孔子そのものの映画化を図るとすれば、その後でないとなかなか興行的には
なり立ちずらいと思う。

個人的には、偉そうなことを言いながら、と〜っても世俗的な孔子先生は
おもしろいテーマとは思いますが。


261 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 10:56
aaaaaaaa

262 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 11:16
『東周英雄伝』4巻以降はまだ出ないのか?

263 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 13:11
>>260
孔子は面白いね。
大政治家になるという大志というか野心を持っていたけど、
実際に政務を執った期間は短く晩年に自分がしようとしたことを
後世に伝えるために弟子を教育。
物凄い執念だ。

264 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 15:27
ところで宮城谷氏の小説にも出てくる「3年の間鳴きもせず飛びもしない鳥」の
有名な逸話なんですが、
田斉の威王と淳于コンが正しいのか、楚の荘王と伍奢が正しいんでしょう?
どっちも創作って可能性もあるんですが…

265 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 16:49
史記では楚の荘王と伍奢になってるね。
淳ウコンはスウ忌子との話で登場してるだけみたい。

春秋とか戦国策などではまた違うかも。
また、記述があっても事実かフィクションかの判断は難しいかも。
読み側でわかるのは、
生年と記述されている年がおかしくないかぐらいしかないと思う。

266 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 00:37
宮城谷氏の小説はおいらも好きなんだけど…上中下巻あったら
上・中巻はすごく丁寧に書かれているが下巻になって「しゅるしゅるしゅる…」
と音を立てて話が萎んでいく(はしょってる?)ような印象がある。俺だけ?

267 :公孫無知:02/09/27 00:58
>>258
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/
このHPに出てる年表は良いですね。誰がいつ頃活躍していたかが良くわかります。
それに、人物データベースが凄い。早速お気に入りに登録しました。
っていうか、このコテハンの人物っていたんでしたね…。しかも悪者…。

>>257,259
伊達に覇王にはなっていない、ってところでしょうか。
絶[糸嬰]の会の件なども、私の好きなエピソードです。
あと、外交面でもその手腕を発揮した、と、どこぞの小説にはありましたが、
そんな意味あいはあるのでしょうか?

>>264,265
ちなみに、その逸話に出てくる人は伍挙という人で、伍奢はその息子です。
なお、伍奢の息子に、「屍に鞭を撃つ」で有名な伍子胥がいます。

268 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 02:37
>>265
失礼。
今確認したらおっしゃる通り伍挙だった。

諡を漢字辞典で調べてみました。


1.慎む。うやうやしい様。
2.まこと(信)。
3.丁寧。


1.猛々しい。勇ましい。
2.ぐるぐる巡る。


原義…しずく。天から降下する。神を下す巫女のこと。神秘。魂。
1.魂。
2.心。精神。
3.幸い。
4.慈しみ。


269 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 02:39
乙(イツ)
形が意味を表す文字で、「春の初めの草木の芽が出始める時に
陰気が強くて芽を出しかねて曲がり屈まっている様」を表す。

葵(キ)
「まるく巡る」という意味。
太陽の移るにつれてその方角に首を傾けるという言い伝えのあるあおいを示す。

丁(テイ)
形が意味を表す文字で、横の「ー」は草木の枝葉を
縦の「│」は茎や幹を表し強く盛んに茂る様をそれぞれ表す。

意味
1.強い。盛ん。
2.手厚い。

哀(アイ)
「口」という文字と「衣」という字が合わさって出来た文字。
「アイ」という音は悲しんで出す声の擬音。
原義は悲しい声。
転じて悲しむの意味。


270 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 02:40

1.命の長い。長生き。
2.遥か。遠い。
3.でたらめ。


祖先の霊に奉る犬。
転じて奉る。

後漢王朝最後の皇帝は献帝。
次の王朝に禅譲したから、って悲しい。

蠣(虫へんなしで、レイ)
1.研ぐ。磨く。砥石。
2.高くする。掲げる。
3.奮い立つ。
4.危うい。
5.醜い。
6.憎む。
7.苦しむ。悩ます。

前半と後半でかなり意味が違うけど、
史記などを読む限り、4.7.の意味で付けられた諡かな。


271 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 02:41

原義…周囲をまるく取り巻いた建物を意味し天子の大室をいう。
   転じて、広く行き渡せる、述べるの意味。


「戊」と「丁」を合わせた文字。
「戊」は矛を意味し、「丁」は当たる、打つを意味する。
矛で撃ち平らげる意。
転じて、成し遂げる。


喜ぶ。楽しむ。


1.のぼる。あげる。
2.払う。除く。
3.変わる。移る。


272 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 02:42

日が輝くという意味。

懿(イ)
1.麗しい。良い。
2.褒める。称える。
3.ああ。

3.がどういう事か分かりません!


原義…家の中を正すこと。定める、安んずる。
1.落ち着く。
2.平らげる。
3.定める。


273 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 04:06
諡號を集めたHPを見つけた。
ttp://www.toride.com/~fengchu/sigou/
献帝の場合は魏に禅譲してくれて頭いい、っていう意味なのかね?


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